妖魔衝突のとき
さて、最上家中では伊達輝宗の訃報がもたらされると、志村光安が弔問に派遣された一方で、おもだった家臣たちが評定のために城につどった。
彼らの前には膳が置かれ、酒のそそがれた杯がある。義光は杯をささげるとふかぶかと頭をさげ、こう言った。
「わが義弟、伊達輝宗公の魂に一献――」
その言葉を受け、家臣たちも杯をささげると一息に飲み干す。それからしばらくの間、沈黙が広間にながれた。やがて義光の低い声が響く。
「惜しい男を、英傑を亡くしてしまった。我らにとっても、輝宗公の死は痛恨事だ」
彼の語尾は少しつまった。彼は頬を流れ落ちる涙を袖でぬぐってため息をつく。ひとたび敵として刃を交えたことはあったが、亡くなった今こうしてみると、あれほど人がよく、外交をわきまえた男はそうはいまいと思えてくるのだった。
彼の悲願であった、同盟による奥羽統一もまた彼と同時に尽きてしまった。義光はこの同盟の一翼を担うつもりでもあったから、これは彼自身の大望が大きく後退したわけでもある。
「それにしても政宗め、あの外道だけは捨ておけん」
目を真っ赤にして義光は吐き捨てた。血の繋がった甥である彼に対して、今はじめて明確な敵意と殺意をおぼえている。
義光の言葉に皆うなずく。一同この異常事態にあきれ果てていた。義継も卑劣だが、父を救う手段も講じずに撃ち殺した政宗の行為は、到底理解に苦しむ非道としか思えない。と、氏家守棟が重々しく口を開いた。
「妙だとは思いませんか。窮鼠猫を噛むとはいえ、義継は何故あのような無謀を敢えてしたのか。まして輝宗公は政宗をたしなめる役回りだったと聞き及んでおります。政宗を狙うならばまだしも……」
「何が言いたいのだ、守棟」
「輝宗公の死で最も利益を得た者が輝宗公暗殺の首謀者ではないか、と考えたまでです」
義光はふうと息を吐いた。
「奴の謀略であったかどうかはこの際いまさらよ。引き金を引けと命じたのはあの場でいた誰なのかは皆わかっているだろう。だいたいそもそも、事前に用意もしておかずに、咄嗟に鉄砲で五十人を殺せるものかよ、兵が伏せてあったならばまだしも」
射殺、とひとことで片付ければそれまでだ。火縄銃というものは、弓矢とちがって咄嗟に撃てるものではない。まして二本松勢は五十名を越えていた。それだけを根こそぎ射殺するには、念入りな事前準備がいるだろう。
それだけではない。
義光のみならず、この事件の顛末を聞いたものはみな不信感に顔をくもらせた。
まず状況の問題がある。これがまた、報告が錯綜している。輝宗自身が「己ごと撃て」と叫んだとある者は言う。しかしいくらなんでもそう言われたからとて、父親を撃ち殺すなぞ道理にあわない。
このときあるいは政宗は鷹狩りにいてその場に居合わせなかったと釈明につとめている。だがそうだとすると、事件現場の指揮者が政宗を無視して射殺命令を出したということだ。これだけの重大決定を主君の意志なしでなしておきながら、それが誰の命令であったか、そして処罰されたかはわかっていない。
その場にいた伊達成実とその配下の話では、誰かが発砲したためなんとはなしに次々と撃ったという。こんなことは言語道断である。標的の先には伊達輝宗がいたのだ。なんとなく主君を射殺する家臣とは一体何なのか。
そもそも、事件が発生した宮森城にいた者は当然のことながら軽装のまま追跡したが、通報を受けた政宗配下の小浜城にいた者たちは甲冑を着用し、騎馬で駆けつけたという。
手際が良すぎる。
そうした不審点を横においても、父を救う手段はあったはずだ。そもそも輝宗が二本松に拉致されたとしても、伊達勢は数で勝っているのだから返還交渉は可能だったはずだ。その可能性を打ち切り、一気に射殺とはあまりに乱暴な手段である。
そして何より政宗自身の態度が、奥羽に不快感をまきちらした。まず彼自身が圧倒的に黒いのだ。生前、彼は父が一生涯にわたって築き上げた外交成果と同盟戦略を一気に破壊し、葦名支配の可能性を潰している。このことで父子は厳しい対立をしていた。さらにそれにくわえて悪名高い小手森での撫で斬り、そして父子関係を血で清算した輝宗事件である。
事件後に二本松吉継の屍をはずかしめたのも、諸侯にとっては愚行に他ならなかった。血で血を洗う戦国でも、最低限の礼儀作法は彼らにはあった。どんな怨敵であろうが、屠ったあとは屍をはずかしめず、手厚く供養するか、あるいは遺族に返すのが筋というものだ。二本松吉継が恩人である伊達輝宗を卑怯にも誘拐したのは、過失である。もしも吉継の遺骸をそれなりの礼をもって遺族に返還していれば、彼らもかえって吉継の行為を恥じて伊達に従ったかもしれないのだ。
家督相続後の伊達政宗の行動は、いままでのところほぼすべてが外道、下劣、残虐、愚行で片付けられるといっていい。
義光の眉間に深い皺がきざまれる。
彼は口の中がからからに渇いているのを感じた。男は父を越えねばならない。それはわかる。それにかつて父から殺意を抱かれ、彼もまた父を殺したいほど憎んだことがあるからこそ、この事件は理解の範疇を超えていた。いくら憎くても、殺されそうになっても、義光は最後の一線を越えることはできなかった。むしろ家督相続後、危険行動をとっていた父をそれでも見て見ぬふりをして一時は窮地に陥ったのだ。守棟はじめ家臣が注意を促しても彼自身は父を甘く見ていたし、それ以上に父に対して甘えていたところがあった。
だが、政宗はちがう。義光は彼に対して憎悪とともに恐怖をおぼえた。
今までとはまったく別種の何かが奥羽に降臨したのは疑いようがない。そしてそれと対峙せねばならないのだ。義光は眉をしかめる。
(政宗は強い。己に秩序を課す者と呵責なき者が争えば、有利なのは後者だ。奴らは良心なぞなく何でもできるのだから! ならばおまえはどうする、義光。強くなれれば何でもするか? いや違うな)
「噛む加減を知らぬ狂犬ほど厄介なものはない。伊達政宗は女子供を斬り捨て、父をも殺す、外道の中の外道。我々はその悪鬼と対峙せねばならんのか……」
黙って目を伏せていた成沢道忠がそこで口をはさんだ。
「なんでも政宗めが女子供を斬るのは、信長ら上方の流儀を真似たとか」
「ふん、信長や上方衆がどうしようが知ったことではない。義光と最上衆にとって女子供は殺すのではなく、かわいがるものだからな。それにそんなに信長が好きならば、あの小僧め、寺で腹斬って燃やされていればいいのだ」
義光は拳をにぎりしめ、吐き捨てた。氏家守棟があごのあたりに手をあててつぶやく。
「このままでは最上伊達の同盟も、早晩崩れるでしょう。となると、庄内対策も見直さねばなりませんな」
「ああ、それどころか伊達とは領土が接している。攻め込まれることがない、とは言い切れまいよ」
この義光の言葉に皆黙りこんだ。氏家守棟がややあって手をぱん、と打った。
「ま、しかしですな。こうも強引な行動となれば家中の反発も必至。つけいる隙はありましょうぞ。獅子身中の虫をあおる、これがよろしいかと」
「ああ、むろん正面きってはぶつかれんからな」
義光の眉間の皺はますます深くなった。
奥羽の戦国時代は今大きく回転している。この時、最上義光は四十歳、伊達政宗は十九歳。義光という妖星には彼の求道があり、一方の政宗という魔星には彼の覇道がある。妖魔衝突の日は刻々と迫っていた。
ふっとそのとき、義光の脳裏に白く悲しみに沈んでいるであろう顔がうかんだ。
(お義……)
いまこのとき、誰が一番苦しみぬいているか。それは夫を失い、婚家と実家の間にひびが入った彼女だろう。義光は妹が、夫の生前いかに相手がすばらしいかをのろけていた姿を思い出している。ふたりは本当に似合いの夫婦だった。
(まだあれも三十八、それなのにこんなむごいことになるとは……あまりにひどい)
妹の悲劇を思うと、義光の胸にはあらためて甥に対して怒りがわきあがってくるのであった。
彼らの前には膳が置かれ、酒のそそがれた杯がある。義光は杯をささげるとふかぶかと頭をさげ、こう言った。
「わが義弟、伊達輝宗公の魂に一献――」
その言葉を受け、家臣たちも杯をささげると一息に飲み干す。それからしばらくの間、沈黙が広間にながれた。やがて義光の低い声が響く。
「惜しい男を、英傑を亡くしてしまった。我らにとっても、輝宗公の死は痛恨事だ」
彼の語尾は少しつまった。彼は頬を流れ落ちる涙を袖でぬぐってため息をつく。ひとたび敵として刃を交えたことはあったが、亡くなった今こうしてみると、あれほど人がよく、外交をわきまえた男はそうはいまいと思えてくるのだった。
彼の悲願であった、同盟による奥羽統一もまた彼と同時に尽きてしまった。義光はこの同盟の一翼を担うつもりでもあったから、これは彼自身の大望が大きく後退したわけでもある。
「それにしても政宗め、あの外道だけは捨ておけん」
目を真っ赤にして義光は吐き捨てた。血の繋がった甥である彼に対して、今はじめて明確な敵意と殺意をおぼえている。
義光の言葉に皆うなずく。一同この異常事態にあきれ果てていた。義継も卑劣だが、父を救う手段も講じずに撃ち殺した政宗の行為は、到底理解に苦しむ非道としか思えない。と、氏家守棟が重々しく口を開いた。
「妙だとは思いませんか。窮鼠猫を噛むとはいえ、義継は何故あのような無謀を敢えてしたのか。まして輝宗公は政宗をたしなめる役回りだったと聞き及んでおります。政宗を狙うならばまだしも……」
「何が言いたいのだ、守棟」
「輝宗公の死で最も利益を得た者が輝宗公暗殺の首謀者ではないか、と考えたまでです」
義光はふうと息を吐いた。
「奴の謀略であったかどうかはこの際いまさらよ。引き金を引けと命じたのはあの場でいた誰なのかは皆わかっているだろう。だいたいそもそも、事前に用意もしておかずに、咄嗟に鉄砲で五十人を殺せるものかよ、兵が伏せてあったならばまだしも」
射殺、とひとことで片付ければそれまでだ。火縄銃というものは、弓矢とちがって咄嗟に撃てるものではない。まして二本松勢は五十名を越えていた。それだけを根こそぎ射殺するには、念入りな事前準備がいるだろう。
それだけではない。
義光のみならず、この事件の顛末を聞いたものはみな不信感に顔をくもらせた。
まず状況の問題がある。これがまた、報告が錯綜している。輝宗自身が「己ごと撃て」と叫んだとある者は言う。しかしいくらなんでもそう言われたからとて、父親を撃ち殺すなぞ道理にあわない。
このときあるいは政宗は鷹狩りにいてその場に居合わせなかったと釈明につとめている。だがそうだとすると、事件現場の指揮者が政宗を無視して射殺命令を出したということだ。これだけの重大決定を主君の意志なしでなしておきながら、それが誰の命令であったか、そして処罰されたかはわかっていない。
その場にいた伊達成実とその配下の話では、誰かが発砲したためなんとはなしに次々と撃ったという。こんなことは言語道断である。標的の先には伊達輝宗がいたのだ。なんとなく主君を射殺する家臣とは一体何なのか。
そもそも、事件が発生した宮森城にいた者は当然のことながら軽装のまま追跡したが、通報を受けた政宗配下の小浜城にいた者たちは甲冑を着用し、騎馬で駆けつけたという。
手際が良すぎる。
そうした不審点を横においても、父を救う手段はあったはずだ。そもそも輝宗が二本松に拉致されたとしても、伊達勢は数で勝っているのだから返還交渉は可能だったはずだ。その可能性を打ち切り、一気に射殺とはあまりに乱暴な手段である。
そして何より政宗自身の態度が、奥羽に不快感をまきちらした。まず彼自身が圧倒的に黒いのだ。生前、彼は父が一生涯にわたって築き上げた外交成果と同盟戦略を一気に破壊し、葦名支配の可能性を潰している。このことで父子は厳しい対立をしていた。さらにそれにくわえて悪名高い小手森での撫で斬り、そして父子関係を血で清算した輝宗事件である。
事件後に二本松吉継の屍をはずかしめたのも、諸侯にとっては愚行に他ならなかった。血で血を洗う戦国でも、最低限の礼儀作法は彼らにはあった。どんな怨敵であろうが、屠ったあとは屍をはずかしめず、手厚く供養するか、あるいは遺族に返すのが筋というものだ。二本松吉継が恩人である伊達輝宗を卑怯にも誘拐したのは、過失である。もしも吉継の遺骸をそれなりの礼をもって遺族に返還していれば、彼らもかえって吉継の行為を恥じて伊達に従ったかもしれないのだ。
家督相続後の伊達政宗の行動は、いままでのところほぼすべてが外道、下劣、残虐、愚行で片付けられるといっていい。
義光の眉間に深い皺がきざまれる。
彼は口の中がからからに渇いているのを感じた。男は父を越えねばならない。それはわかる。それにかつて父から殺意を抱かれ、彼もまた父を殺したいほど憎んだことがあるからこそ、この事件は理解の範疇を超えていた。いくら憎くても、殺されそうになっても、義光は最後の一線を越えることはできなかった。むしろ家督相続後、危険行動をとっていた父をそれでも見て見ぬふりをして一時は窮地に陥ったのだ。守棟はじめ家臣が注意を促しても彼自身は父を甘く見ていたし、それ以上に父に対して甘えていたところがあった。
だが、政宗はちがう。義光は彼に対して憎悪とともに恐怖をおぼえた。
今までとはまったく別種の何かが奥羽に降臨したのは疑いようがない。そしてそれと対峙せねばならないのだ。義光は眉をしかめる。
(政宗は強い。己に秩序を課す者と呵責なき者が争えば、有利なのは後者だ。奴らは良心なぞなく何でもできるのだから! ならばおまえはどうする、義光。強くなれれば何でもするか? いや違うな)
「噛む加減を知らぬ狂犬ほど厄介なものはない。伊達政宗は女子供を斬り捨て、父をも殺す、外道の中の外道。我々はその悪鬼と対峙せねばならんのか……」
黙って目を伏せていた成沢道忠がそこで口をはさんだ。
「なんでも政宗めが女子供を斬るのは、信長ら上方の流儀を真似たとか」
「ふん、信長や上方衆がどうしようが知ったことではない。義光と最上衆にとって女子供は殺すのではなく、かわいがるものだからな。それにそんなに信長が好きならば、あの小僧め、寺で腹斬って燃やされていればいいのだ」
義光は拳をにぎりしめ、吐き捨てた。氏家守棟があごのあたりに手をあててつぶやく。
「このままでは最上伊達の同盟も、早晩崩れるでしょう。となると、庄内対策も見直さねばなりませんな」
「ああ、それどころか伊達とは領土が接している。攻め込まれることがない、とは言い切れまいよ」
この義光の言葉に皆黙りこんだ。氏家守棟がややあって手をぱん、と打った。
「ま、しかしですな。こうも強引な行動となれば家中の反発も必至。つけいる隙はありましょうぞ。獅子身中の虫をあおる、これがよろしいかと」
「ああ、むろん正面きってはぶつかれんからな」
義光の眉間の皺はますます深くなった。
奥羽の戦国時代は今大きく回転している。この時、最上義光は四十歳、伊達政宗は十九歳。義光という妖星には彼の求道があり、一方の政宗という魔星には彼の覇道がある。妖魔衝突の日は刻々と迫っていた。
ふっとそのとき、義光の脳裏に白く悲しみに沈んでいるであろう顔がうかんだ。
(お義……)
いまこのとき、誰が一番苦しみぬいているか。それは夫を失い、婚家と実家の間にひびが入った彼女だろう。義光は妹が、夫の生前いかに相手がすばらしいかをのろけていた姿を思い出している。ふたりは本当に似合いの夫婦だった。
(まだあれも三十八、それなのにこんなむごいことになるとは……あまりにひどい)
妹の悲劇を思うと、義光の胸にはあらためて甥に対して怒りがわきあがってくるのであった。

