最上謀略学校 実践講義
「草苅虎之助は覚えているな」
義光が肩を抱いてささやくと、鮭延秀綱はうなずいた。
時を遡ること一年以上前、鮭延城攻略の直後、草苅虎之助が義光の寝所に呼び出された。草苅虎之助は、鮭延城攻めでの数少ない犠牲者である武田兵庫頭の父にあたる。夜が白む頃、彼は寝所から出てきたが、おそらく子を失ったことをなぐさめられていたのだろうと皆は思った。
その翌春、虎之助はよりにもよって最上家の祖である斯波兼頼の菩提寺・光明寺で狩りを行った。義光はこれに激怒した。
「神聖な宗廟を血で汚すとは、けしからん奴め」
義光は家臣たちの面前で怒り狂い、止めようととりすがった志村九郎兵衛の顔を扇で引っぱたいた。彼は虎之助の襟首をつかんで激しくゆさぶった。だが虎之助も負けてはない。彼は主君の腕をふりはらって叫んだ。
「先の合戦では次男を失うほど忠勤を尽くしたというのに、たかが鳥を数羽射ただけでなんという仕打ちをなさるのか。もう最上の家なぞ仕える義理はないわ!」
義光は顔を真っ青にしてふるえた。
「おのれ、おとなしく反省すればよいものを……息子に免じて命だけは助けてやる、だが二度と山形へは戻るな!」
虎之助はすっくと立ちあがると大股で城を去り、そのまま荷物をまとめて庄内へ去った。
「その草苅がいかがなされましたか?」
秀綱が不思議そうな顔でたずねると、義光は声をますますひそめた。
「おまえも奴同様、最上の家を去って欲しい。そして草苅のもとに身を寄せるのだ」
秀綱は「うっ」とうめいたきり何も言えなくなった。草苅虎之助は現在、庄内の大宝寺義氏のもとに仕えている。大宝寺義氏の悪評は、修験者の誇張もあろうが山形まで広まってきていた。
それ以上に秀綱本人には、大宝寺には苦い思い出がある。父・貞綱が大宝寺家に敗れたとき、まだ幼い秀綱は彼らのもとへと拉致されたのだ。幼心にもそこでの屈辱ははっきりと刻まれた。
(そんな、あの外道と名高い大宝寺、よりにもよって奴らのもとに行くなどと……)
義光は不安げな顔になった秀綱に気付いたのか、ぽんぽんと親しげに肩を叩いた。
「虎之助は有能な男だ、義氏にすっかり重用されているとか。その口利きならおまえも出世できるだろう。なに、大船に乗った気分でいていいぞ、それに路銀もちゃんと出す。つらい役目かもしれんが、なまじ大宝寺のことを知っているおまえこそ適任なのだ」
(もうおれが行くことに殿の中ではなっているのか!)
「で、その、何をしろと?」
「ひっかき回せばいい、今のところはそれだけだ。あとの指示は追ってだそう」
彼はそういいながら、火鉢の中で火箸でかき回した。と、突然秀綱の手の甲に火箸をおしあえてた。
「あづっ! 何をなされますか」
秀綱はおどろいて手をひっこめた。義光はその耳元で言う。
「さあ、仕上げだ。私を殴ってみろ」
「はあ?」
「さ、殴り倒せ! 殴ったら一目散に宿まで逃げろ。あとで書状を渡す」
秀綱はあきれかえったような顔を一瞬したが次の刹那、義光の腹に鉄拳をたたきこんだ。義光はうめいてくずおれた。秀綱は振り返りもせず部屋から飛び出すと、城の廊下を一気に駆け抜けた。すれちがいざまに侍女が悲鳴をあげ、同輩はいぶかしげな顔になった。
義光はよろめきながら立ちあがると、秀綱の去ったほうへと歩き声をあげた。
「おのれ秀綱め! よくもこのような真似をしおったな」
彼のもとへ近習や小姓、それに侍女があわてて駆けつける。義光はがっくりと膝をついて、くやしげにうめいた。
その晩、秀綱の宿に氏家守棟が訪れ何やら話し込んでいった。翌朝まだ暗いうちに鮭延秀綱は山形を出立し、庄内へと向かっていった。
鮭延秀綱の旅は楽ではなかった。まず庄内まで降り始めた雪の中を行くのがつらい。だが彼にとっては、大宝寺家に仕えることのほうがずっとしんどいものとなった。
雪の中の旅を終えた十一月なかば、秀綱は義光の指示通り、草苅虎之助のもとへ転がり込んだ。彼は早速、大宝寺義氏に秀綱を紹介した。
大宝寺義氏は小柄だが精力的な男で、日焼けして彫りの深い顔立ちはいかにも精悍そうだった。自信家で己の武威を以てすればあたりは皆従い、勇将もこぞって仕官するものだと彼は思いたいらしい。神仏よりも己を信じる自信にみちあふれた男だ。
それも無理ないところかもしれない。大宝寺義氏の家督相続以来の躍進はめざましいものがある。
義氏の勢力拡大の原動力は彼の武威のみならず、幸運も背後にあった。目の上のこぶであった上杉謙信死後、上杉家は家督争いの"御館の乱"が起こりかげりが見えた。天正九(一五八一)年、義氏は上杉家と敵対する織田信長に鷹と名馬を贈り、"屋方"号まで得ることに成功した。一方の義光が、父や義弟に介入されて痛い目にあった不運とは逆だ。だがその幸運すら、彼は己の力でひきよせたと信じている。
彼は秀綱の豪快さをすっかり気に入った。幼い彼がかつて大宝寺家に人質としていたことも、よかったのかもしれない。秀綱自身には苦い思い出だが、義氏は世話してやった小僧といった感覚で接してくる。なまじ幼い日を知っているだけに、どこかなれなれしい侮りが彼の態度からは感じさせた。
彼は秀綱とともに酒をくみかわし、いろいろと気前のいいことを言った。だがそれは口だけで、結局秀綱はわずかな俸禄しかもらえなかった。山形からこっそり送られてくる銀子がなければ、生活はなかなか苦しかったことだろう。
そうはいっても、義氏は表面的には男らしい魅力があった。もし秀綱が義光より前に彼に出会っていたら、そのかぶいた男ぶりに心酔していたかもしれない。だが今はちがった。義氏は酒の席でも豪放磊落だが、酔えば家臣に裸踊りを強制したり、一気飲みさせたり、たわむれに殴りつけたりする。義光はそういう悪ふざけを敢えてさせないし、下戸が白湯を飲んでいても見て見ぬふりをした。義光はどこか飄々としていて、なにもかも知っているのにすっとぼけているようなふうがある。あけっぴろげで武勇伝はあまり言いたがらず、かえって失敗談や間抜けな話を喜々として語る。ただし人の欠点をちくちく衝くような陰険な話はしない。
(本当の男らしさとは気遣いだ。無理をしない、させないことかもしれん)
苦い杯を飲み干しながら彼はそう思うのだった。
義氏にはもっと困った欠点もあった。彼の支配欲と積極性は色事にも発揮されていて、ひとたび相手が気に入れば生娘だろうが人妻だろうが、ものにせねば気がすまない。上がこんな調子だから、大宝寺家中は下半身がゆるい連中が多いのが秀綱にとってはきつい。夜、家で本でも読んでいると同輩がやって来て夜這いに誘ってくる。秀綱はたいてい適当な理由をつけて断っていたが、ある晩恩田という男がせせら笑って言ってきた。この男はにやけていなければ、それなりに好男子といっていい顔立ちだ。だが、その言葉を聞けばどんな女も幻滅するだろう。
「山形の連中は青ちんぼばかりという噂だが、おまえもそうよの。己の手つかって抜いてばっかおらんで、侍ならたまには遊んでみろい!」
秀綱はあきれ顔になった。
「おまえらこそ、そうやって魔羅惚けしてると、いらんところで脚をすくわれるぞ。夜這いの何が侍よ、恥ずかしいとは思わんのか」
「馬鹿この、侍だからこそやるわけよ! こちとら、そんじょそこらのどん百姓の小倅じゃアない、相手が大宝寺お侍ならよう、娘どもも喜んで脚を開くってもんじゃないの」
相手はそう言ってがはは、と笑った。
秀綱は頭が痛くなってきた。最上家中でこんなことを言ったらば、義光に鉄棒でふぐりを潰されることだろう。"強姦した者は殿の鉄棒で悪根を潰される"という噂は、まことしやかに最上家中でささやかれているが、秀綱も真偽のほどは知らない。ただ、うちの殿ならやりかねんとは思っていた。
あきれ顔で同輩の背中を見送りつつ、秀綱は大宝寺家は潰すべきだと改めて思った。と同時に、潰れて当然の要素もたくさんある、と。
義光が肩を抱いてささやくと、鮭延秀綱はうなずいた。
時を遡ること一年以上前、鮭延城攻略の直後、草苅虎之助が義光の寝所に呼び出された。草苅虎之助は、鮭延城攻めでの数少ない犠牲者である武田兵庫頭の父にあたる。夜が白む頃、彼は寝所から出てきたが、おそらく子を失ったことをなぐさめられていたのだろうと皆は思った。
その翌春、虎之助はよりにもよって最上家の祖である斯波兼頼の菩提寺・光明寺で狩りを行った。義光はこれに激怒した。
「神聖な宗廟を血で汚すとは、けしからん奴め」
義光は家臣たちの面前で怒り狂い、止めようととりすがった志村九郎兵衛の顔を扇で引っぱたいた。彼は虎之助の襟首をつかんで激しくゆさぶった。だが虎之助も負けてはない。彼は主君の腕をふりはらって叫んだ。
「先の合戦では次男を失うほど忠勤を尽くしたというのに、たかが鳥を数羽射ただけでなんという仕打ちをなさるのか。もう最上の家なぞ仕える義理はないわ!」
義光は顔を真っ青にしてふるえた。
「おのれ、おとなしく反省すればよいものを……息子に免じて命だけは助けてやる、だが二度と山形へは戻るな!」
虎之助はすっくと立ちあがると大股で城を去り、そのまま荷物をまとめて庄内へ去った。
「その草苅がいかがなされましたか?」
秀綱が不思議そうな顔でたずねると、義光は声をますますひそめた。
「おまえも奴同様、最上の家を去って欲しい。そして草苅のもとに身を寄せるのだ」
秀綱は「うっ」とうめいたきり何も言えなくなった。草苅虎之助は現在、庄内の大宝寺義氏のもとに仕えている。大宝寺義氏の悪評は、修験者の誇張もあろうが山形まで広まってきていた。
それ以上に秀綱本人には、大宝寺には苦い思い出がある。父・貞綱が大宝寺家に敗れたとき、まだ幼い秀綱は彼らのもとへと拉致されたのだ。幼心にもそこでの屈辱ははっきりと刻まれた。
(そんな、あの外道と名高い大宝寺、よりにもよって奴らのもとに行くなどと……)
義光は不安げな顔になった秀綱に気付いたのか、ぽんぽんと親しげに肩を叩いた。
「虎之助は有能な男だ、義氏にすっかり重用されているとか。その口利きならおまえも出世できるだろう。なに、大船に乗った気分でいていいぞ、それに路銀もちゃんと出す。つらい役目かもしれんが、なまじ大宝寺のことを知っているおまえこそ適任なのだ」
(もうおれが行くことに殿の中ではなっているのか!)
「で、その、何をしろと?」
「ひっかき回せばいい、今のところはそれだけだ。あとの指示は追ってだそう」
彼はそういいながら、火鉢の中で火箸でかき回した。と、突然秀綱の手の甲に火箸をおしあえてた。
「あづっ! 何をなされますか」
秀綱はおどろいて手をひっこめた。義光はその耳元で言う。
「さあ、仕上げだ。私を殴ってみろ」
「はあ?」
「さ、殴り倒せ! 殴ったら一目散に宿まで逃げろ。あとで書状を渡す」
秀綱はあきれかえったような顔を一瞬したが次の刹那、義光の腹に鉄拳をたたきこんだ。義光はうめいてくずおれた。秀綱は振り返りもせず部屋から飛び出すと、城の廊下を一気に駆け抜けた。すれちがいざまに侍女が悲鳴をあげ、同輩はいぶかしげな顔になった。
義光はよろめきながら立ちあがると、秀綱の去ったほうへと歩き声をあげた。
「おのれ秀綱め! よくもこのような真似をしおったな」
彼のもとへ近習や小姓、それに侍女があわてて駆けつける。義光はがっくりと膝をついて、くやしげにうめいた。
その晩、秀綱の宿に氏家守棟が訪れ何やら話し込んでいった。翌朝まだ暗いうちに鮭延秀綱は山形を出立し、庄内へと向かっていった。
鮭延秀綱の旅は楽ではなかった。まず庄内まで降り始めた雪の中を行くのがつらい。だが彼にとっては、大宝寺家に仕えることのほうがずっとしんどいものとなった。
雪の中の旅を終えた十一月なかば、秀綱は義光の指示通り、草苅虎之助のもとへ転がり込んだ。彼は早速、大宝寺義氏に秀綱を紹介した。
大宝寺義氏は小柄だが精力的な男で、日焼けして彫りの深い顔立ちはいかにも精悍そうだった。自信家で己の武威を以てすればあたりは皆従い、勇将もこぞって仕官するものだと彼は思いたいらしい。神仏よりも己を信じる自信にみちあふれた男だ。
それも無理ないところかもしれない。大宝寺義氏の家督相続以来の躍進はめざましいものがある。
義氏の勢力拡大の原動力は彼の武威のみならず、幸運も背後にあった。目の上のこぶであった上杉謙信死後、上杉家は家督争いの"御館の乱"が起こりかげりが見えた。天正九(一五八一)年、義氏は上杉家と敵対する織田信長に鷹と名馬を贈り、"屋方"号まで得ることに成功した。一方の義光が、父や義弟に介入されて痛い目にあった不運とは逆だ。だがその幸運すら、彼は己の力でひきよせたと信じている。
彼は秀綱の豪快さをすっかり気に入った。幼い彼がかつて大宝寺家に人質としていたことも、よかったのかもしれない。秀綱自身には苦い思い出だが、義氏は世話してやった小僧といった感覚で接してくる。なまじ幼い日を知っているだけに、どこかなれなれしい侮りが彼の態度からは感じさせた。
彼は秀綱とともに酒をくみかわし、いろいろと気前のいいことを言った。だがそれは口だけで、結局秀綱はわずかな俸禄しかもらえなかった。山形からこっそり送られてくる銀子がなければ、生活はなかなか苦しかったことだろう。
そうはいっても、義氏は表面的には男らしい魅力があった。もし秀綱が義光より前に彼に出会っていたら、そのかぶいた男ぶりに心酔していたかもしれない。だが今はちがった。義氏は酒の席でも豪放磊落だが、酔えば家臣に裸踊りを強制したり、一気飲みさせたり、たわむれに殴りつけたりする。義光はそういう悪ふざけを敢えてさせないし、下戸が白湯を飲んでいても見て見ぬふりをした。義光はどこか飄々としていて、なにもかも知っているのにすっとぼけているようなふうがある。あけっぴろげで武勇伝はあまり言いたがらず、かえって失敗談や間抜けな話を喜々として語る。ただし人の欠点をちくちく衝くような陰険な話はしない。
(本当の男らしさとは気遣いだ。無理をしない、させないことかもしれん)
苦い杯を飲み干しながら彼はそう思うのだった。
義氏にはもっと困った欠点もあった。彼の支配欲と積極性は色事にも発揮されていて、ひとたび相手が気に入れば生娘だろうが人妻だろうが、ものにせねば気がすまない。上がこんな調子だから、大宝寺家中は下半身がゆるい連中が多いのが秀綱にとってはきつい。夜、家で本でも読んでいると同輩がやって来て夜這いに誘ってくる。秀綱はたいてい適当な理由をつけて断っていたが、ある晩恩田という男がせせら笑って言ってきた。この男はにやけていなければ、それなりに好男子といっていい顔立ちだ。だが、その言葉を聞けばどんな女も幻滅するだろう。
「山形の連中は青ちんぼばかりという噂だが、おまえもそうよの。己の手つかって抜いてばっかおらんで、侍ならたまには遊んでみろい!」
秀綱はあきれ顔になった。
「おまえらこそ、そうやって魔羅惚けしてると、いらんところで脚をすくわれるぞ。夜這いの何が侍よ、恥ずかしいとは思わんのか」
「馬鹿この、侍だからこそやるわけよ! こちとら、そんじょそこらのどん百姓の小倅じゃアない、相手が大宝寺お侍ならよう、娘どもも喜んで脚を開くってもんじゃないの」
相手はそう言ってがはは、と笑った。
秀綱は頭が痛くなってきた。最上家中でこんなことを言ったらば、義光に鉄棒でふぐりを潰されることだろう。"強姦した者は殿の鉄棒で悪根を潰される"という噂は、まことしやかに最上家中でささやかれているが、秀綱も真偽のほどは知らない。ただ、うちの殿ならやりかねんとは思っていた。
あきれ顔で同輩の背中を見送りつつ、秀綱は大宝寺家は潰すべきだと改めて思った。と同時に、潰れて当然の要素もたくさんある、と。

